【オーナー特集】割烹 柳家
【オーナー特集】
割烹 柳家4代目:青柳宏幸
【歩み】
幼い頃から特に親に言われていたわけではなかったが柳家を継ごうと思っていた。
でも、自分は料理が好きだとか手先が器用な方ではなかったし、むしろ料理は苦手な分野だった。それでも自分が柳家を継ごうと思ったのは、幼い頃からいたこのお店を終わらせたくないという思いがとても強かったから。1888年(大正6年)から繋いできた柳家を自分の代で終わらせることが嫌だった。
大学を卒業後、家業を継ぐ為の第一歩として飲食業界に行ってもよかったが、のちに経営者になることを考え、まず、経営コンサルタント会社に入社した。そこで3年間お世話になった後、父の友人のつてで京都の山科にある「料亭・わらびの里」で3年間和食の基礎を1から勉強させてもらった(米の研ぎ方から魚の捌き方など)。自分は大学を卒業して社会人として3年間仕事をしてきた後に料理の世界に入ったので、当時24歳ではあったが修行をしにきている若手の中では年長者だった。非常に厳しい上下関係の中で自分より年下の者から厳しい言葉を貰うことも多々あり、「なにくそっ!」と思うこともあったが、その時の経験が精神面の強さを養う上で非常に役に立ったと思う。その後は他の料亭も見てみたかったので東京の日比谷にある「京料理・あと村」で半年間経験後、実家に戻り、柳家に入る(30歳)。
柳家に入ってからは、当時ウチのメニューは父と一緒に切り盛りしていた板前さんが取り仕切っていたのでその方と一緒に仕事をやりながら、父からは鰻の焼き方やフグ処理を教わった。そして、44歳の時に柳家の4代となり、現在に至る。
【ターニングポイント】
4代目として、会社の代表になってからすぐに売上の底上げ等、経営上の課題に直面することになる。その1つの解決策として店内も外観も年月が経っていたので、今までお世話になったお客様に還元する意味でも店を思い切って改装しようと思った。ただ、銀行に融資を打診するも中々取り合ってもらえず、非常に苦労した。でも、この時に諦めずに各行まわったことで、なんとか日本政策金融公庫から融資がおりることになり、改装後は売上が25%以上アップし、ホームページも改修し今でもその効果は継続している。
あの時の資金調達とその使い方が間違った方向に舵が切られていたら、もしかしたら今、柳家はなかったかもしれない。
【後進へのメッセージ】
自分の提供したものに対するお客様のリアクションがダイレクトに見える世界なので、それに面白みを感じれる人非常に向いている世界だと思います。
ただ、何事もやり続けること。自分も元々、料理は苦手だったけどこれしかない!と思ったからやり続けることができた。
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